おしごと体験広場 キッズハローワーク

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私たちの街の宝物

作者 弘前シードル工房kimori 高橋(たかはし)哲史(さとし)さん

津軽にりんごの木が初めて植えられたのが、140年ほど前の明治の初めの頃です。 それまでサムライとして生きてきた人々が新しい時代の中で生きていくためにはじめられました。

いま私たちが目にするりんご畑の風景からは想像もできませんが、彼らがりんごの苗木を持ち込 む前には、この街にはりんごの木が一本もなかったのです。

雪深く、厳しい気候の中でのりんご栽培は、大変な苦労の連続でした。りんごの木が病気になっ たり、害虫に悩まされたりと困難を極めました。この地でりんごを育てていくには大変な苦労がとも なうと知っても彼らはあきらめませんでした。「りんごづくりは人づくり」という言葉が今も残ってい るようにりんご栽培の教育を行い、栽培技術をみんなで力を合わせて研究し続け、ようやくりんご が根付き始めたのです。

このりんごに対する彼らの強い想いはどこから出てきたのでしょうか。 北国のさらに最果てのこの地は冷害も多く、米の不作による飢饉に何度も襲われ、そのたびに多 くの人々が亡くなりました。りんごの先人たちの心の中には、そんな悲しい思いを繰り返してはいけ ないという思いがあったのではないでしょうか。人々が飢えることのないよう、新しい産業をつくる。 子どもたちの未来のためにりんごという新しい作物に挑戦しよう。そうして始まったのが私たちの 街のりんご作りだったのかもしれません。

たった一本の苗木から始まったこの産業は、同時にりんごに関わるたくさんの“新しい仕事”も生 み出しました。りんご箱を作る仕事、剪定などに使う道具を作る仕事、りんごを出荷する仕事などな ど、りんご農家だけではなく多くの仕事をしてくれる人々の力によってこの産業は支えられ、そして いま私たちのこの街は日本一のりんごの街となりました。

何世代も前のりんごの先人たちの声を直接聴くことはできません。しかし今の私たちのくらしを 支えてくれている多くの先人たちの想いを、彼らの残してくれたりんご畑から感じることができます。 この街にはそんな宝物がたくさんあることを、もう一度発見しましょう。

ハロルド
ハロリア ハロリア